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補習の功罪(若き講師へ)
補習=できない生徒対象というのが一般的である。
しかし、「できない生徒」の特定は難しい。偏差値が60でも30でも、親にとっては「できない子ども」なのだ。
だから、私が思う補習は、
(1)できるだけ全員を対象に行い、常に上位生向けに補習の授業をして下位生を引き上げるようにする。そうしなければ、上位生が伸びず、クラスのムードも低位で推移する。
(2)特定の生徒を、どうしても補習しなければならない場合は、その生徒と他の2・3人を呼び、次はその2・3人を別の生徒に順次代えていく。これにより不公平感を与えないし、競争原理も働く。
(3)補習時間をよく考える。上位生でも集中力は3時間が限界であろう。塾によっては、ここぞとばかりに休日の朝から補習していることもあるようだが、生徒の身はひとつ。教師が気合い十分でも生徒がついてこない。もし、ついてこられるようであれば、授業に緊張感、集中力がないということになる。
(4)何から手をつけたらよいか、わからない生徒もいる。私なら、問題を解かせながら「これはできなくてはいかん。これは捨ててもいいぞ。」と取捨選択して今後の学習の方向性を示す。
(5)全体の成績が下降している場合は補習をいくらしても無駄である。教師のチーム力が怠っていると生徒達の勢いに反映する。教師同士のウマが合う、合わないは、プロとして関係ない。生徒中心にじっくり教師間での想いをぶつけ合い、指導方針を確立することが先決。
以上が効果の見込める補習かもしれない。
(2008.10.2)あまのじゃく
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